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札樽線 (ジェイ・アール北海道バス) : ミニ英和和英辞書
札樽線 (ジェイ・アール北海道バス)[さっそんせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふだ]
 【名詞】 1. (1) token 2. label 3. (2) ticket 4. card 5. (3) charm 6. talisman 
: [たる]
 【名詞】 1. cask 2. barrel 
アール : [あーる]
 【名詞】《単位》 an are
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [きた, ほく]
 (n) north
北海 : [ほっかい]
 【名詞】 1. northern sea 2. North Sea 
北海道 : [ほっかいどう]
 【名詞】 1. northernmost of four main islands of Japan 
海道 : [かいどう]
 【名詞】 1. sea route 

札樽線 (ジェイ・アール北海道バス) : ウィキペディア日本語版
札樽線 (ジェイ・アール北海道バス)[さっそんせん]

札樽線(さっそんせん)とは、国鉄バス北海道旅客鉄道ジェイ・アール北海道バス自動車路線である。
札幌都市圏の路線のうち、札幌市西部(西区手稲区)および小樽市の路線で、主に手稲営業所・小樽営業所が担当する。2006年4月1日に各系統ごとに名称設定が行われ、以後案内上は「札樽エリア」という呼称で案内されている。
本項では、札樽線の派生路線として国鉄〜JRバスが札幌と小樽を結び運行する高速バス路線(うしおライナー・高速つばめ号・高速おたる号)についても記述する。
== 概要 ==
札樽線は、北海道では初の省営バス路線として1934年6月10日に開業した路線であり、当初はバス5台(東京瓦斯電気会社製の『千代田号』〔『札樽国道物語』北海道道路史調査会、84 - 85ページ。〕)とトラック3台〔という規模で、苗穂と手宮の間を4往復したほか、札幌と途中の軽川(「手稲町」自動車駅、のちの「手稲本町」バス停)で折り返す便が2往復というものであった〔バスジャパン・ハンドブックシリーズ8『北海道旅客鉄道』p20〕。当時は既に札樽間に1日数十本旅客列車が走っており、省営バス開業のねらいは多分に民営バス牽制にあったものと考えられる〔。苗穂 - 手宮間の所要時間は2時間12分と、列車より1時間近くかかる上に、運賃は1円30銭と、同区間の三等汽車賃の倍以上であり、当時は沿線人口が少なかったこととも相まって、開業当初は予想に比して利用者は多くなかった〔。1937年には開道70年記念博覧会が開催され、バス3両が増車された。さらに運賃を汽車賃並みに下げると、客足も伸びはじめた〔。日中戦争が拡大化した1938年、自動車用ガソリンが配給制となり、第二次世界大戦勃発後の1941年になると、軍用車を除き、大半の車が木炭コークスなどを用いた代燃車となった〔『札樽国道物語』北海道道路史調査会、85 - 86ページ。〕。道内の省営バスでは、大半が薪を用いたが〔、これも戦火の拡大で思うに任せぬようになり〔、鉄道並行路線であるということもあり、1944年4月20日に運休を余儀なくされた〔〔バスジャパン・ハンドブックシリーズ8『北海道旅客鉄道』p22〕。
終戦後、1947年5月1日から運行が再開され〔、1950年には11往復に増発された。この年には北海道中央バスとの相互乗り入れ路線となっている〔バスジャパン・ハンドブックシリーズ8『北海道旅客鉄道』p25〕。その後も増強は続き、1956年には38往復に増発され、1960年には特急便の運行が開始されたほか、支線の開設なども行われ、札幌と小樽の都市圏における郊外輸送も担当するようになった。この時点で、国鉄バス4原則の中では「鉄道線の培養」に相当する路線となっていた。
また、札樽線は北海道の国鉄バスでは最初に新型車両が投入される路線ともなっており〔、1952年に代用燃料車両を置き換えるためにガソリン車が投入されたのを始め、1954年にはディーゼルバス(日野BD31)、1959年には空気ばねを装備した車両も登場した。また、ワンマン化についても、北海道の国鉄バスでは1967年に本路線で開始されたのが最初である〔バスジャパン・ハンドブックシリーズ8『北海道旅客鉄道』p27〕。
また、1962年には本路線の特急便車両に、専用の塗装デザインが採用された〔。折りしもこの年は国鉄バスの原則に「鉄道線の補完」が加えられた年で、本路線は都市間連絡路線としての役割も担うことになった〔バスジャパン・ハンドブックシリーズ8『北海道旅客鉄道』p26〕。1980年代の中ごろまで札幌近郊の国鉄路線は、長距離列車や貨物列車1970年代までは石炭輸送列車が多かった)を主体としたダイヤであったため、地域間旅客輸送の需要を都市間バスで補完していたという経緯があり、「鉄道線の補完」という使命にも合致していた。1971年には札樽バイパス(現:札樽自動車道)の開通に伴い、特急便をバイパス経由とすることでスピードアップを図った。
特急便は1978年にいったん運行休止となったが、国鉄分割民営化を控えた1986年11月に札樽自動車道を経由する6往復の高速バス路線の運行を開始した〔バスジャパン・ハンドブックシリーズ8『北海道旅客鉄道』p28〕。1987年2月には9往復に増便され、分割民営化直前の1987年3月5日からは、白地に橙色・赤色の帯が入るという、前年に登場していた183系500番台と同様の塗装デザインを施した新車(日野RU638BB)に9往復全てを置き換え、サービスおよびイメージの向上を図った〔鉄道ジャーナル通巻247号(鉄道ジャーナル社・1987年6月号)p140〕。
民営化後も高速バスの増強は続き、1992年10月からは札幌北インターチェンジ経由で「高速つばめ号」を運行開始、同時にこれまでの円山経由便は「うしおライナー」という愛称となった。2001年に高速バスは北海道中央バスと共同運行という形態となり、愛称も「高速おたる号」に揃えられている。一部に利用制限は残るものの、札樽間高速バス共通カードの発行や停留所の統一などにより、北大経由便と円山経由の高速おたる号、高速よいち号、高速しゃこたん号、高速いわない号、高速ニセコ号を合わせた運行回数は120往復(一部時間帯を除き1時間あたり8本)の高頻度輸送となり、利便性は格段に向上した。
一方、札幌都市圏輸送についても増強が続けられ、特に手稲駅にはエリア内の多数の路線が集中し、エリアの拠点となっている。1999年2月25日札幌市営地下鉄東西線宮の沢駅まで延伸された際には、地下鉄のフィーダー輸送の需要が高まる〔バスラマ・インターナショナル96号(ぽると出版) p31〕ことに対応し、宮の沢駅を新たな拠点に加えて大幅な路線の再編を行う一方で、快速便や区間便の設定を行うことでバスの快適性をアピールする方策を採った〔バスラマ・インターナショナル96号(ぽると出版) p32〕。
2004年4月からは北海道内の一般路線では初の試み〔として、「55-1」系統(平日朝にJR札幌駅行き2本)において、車両の中に芳香剤と化粧直し用の鏡を数個設置した「女性専用バス」の運行を開始した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「札樽線 (ジェイ・アール北海道バス)」の詳細全文を読む




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